現在15歳で高校1年生の赤間凛音(あかまりず)さん。
パリオリンピックの「スケートボード、女子ストリート」に出場することが決定しました。
そこで、今回は赤間凛音さんのWiki風プロフィールやスケートボードの経歴。
赤間凛音さんが、スケートボードを始めるきっかけになった父親のことをまとめてみました。
是非最後までお付き合いください。
赤間凛音のwikiプロフィール
まずは赤間凛音さんのプロフィールを簡単に紹介します。
本名:赤間凛音(あかまりず)
生年月日:2009年1月8日
年齢:15歳(2024年7月現在)
出身地:宮城県仙台市
高校:東北高校
仙台市出身の15歳アスリートです。
- スケートボードを始めたのはいつから?
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小学2年生、7歳の時から
- はまっていることは?
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妖怪ウォッチ ぷにぷに
- 好きなことは?
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YouTube鑑賞、ゲーム
- 好きなスイーツは?
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主婦の店 「さいち」の、きなこおはぎ
妖怪ウォッチ ぷにぷにや、地元のお店のおはぎが好きでというのは、とても好感が持てますね。
YouTube鑑賞が好きだというのも、今時の15歳という感じがして、競技をしている姿とのギャップが素敵です。
赤間凛音の出身小学校や中学校はどこ?
現在、高校生の赤間凛音さん。
出身の小学校や、中学校が気になるという方もいるのではないでしょうか?
赤間凛音さんの出身小学校は、宮城県仙台市立住吉台小学校。
出身中学校は仙台市立住吉台中学校です。
住所;〒981-3223 宮城県仙台市泉区住吉台西4丁目1−2
仙台市立住吉台小学校と住吉台中学校は併設されています。
部活に所属していたかは不明です。
トップアスリートにまで登り詰めたのですから、放課後はスケートボード漬けだったのかもしれませんね。
赤間凛音が通っている高校
そんな赤間凛音さんが現在通っている高校はどこなのでしょうか?
赤間凛音が現在通っている高校は東北高等学校です。
2024年現在、赤間凛音さんは高校1年生です。
東北高等学校といえば、メジャーリーガーのダルビッシュ有さん。
フィギュアスケーターの荒川静香さん。
羽生結弦さんなど、数多くのスポーツ選手を輩出している名門校です。
同級生も応援
赤間凛音さんがパリオリンピックに出場するにあたり、同級生は
・「新聞やニュースで見る姿と学校の生活での姿は全然違ってスポーツしている時はとてもかっこいいです」
・「東北高校の代表としてパリオリンピックに出てくれるのはとても誇らしいので頑張ってきてほしいです」
とエールを送っていると、地元の「ミヤギテレビ」で放送されていました。
スケートボードをしていない、学校生活での姿も気になりますね。
赤間凛音の経歴(スケートボード歴)
そんな赤間凛音さんのスケートボード歴をご紹介します。
7歳でスケートボードを始める
赤間凛音さんが小学校2年生、7歳の時にスケートボードを始めます。
後で詳しく記しますが、スケートボードを始めたきっかけはお父さんの影響です。
写真はスケートボードを始めたころでしょうか?
小さい身体がとても可愛く、スケートボードが大きく見えますね。
キャップもとてもお似合いです。
小学5年生の時に日本選手権2位
才能が開花した赤間凛音さん。
2019年、小学校5年生の時に行われた日本選手権で、「ストリート」で2位になっています。
遊びで始めたスケートボード。
わずか3年で日本2位になるとは、相当な才能の持ち主ですね。
中学1年生で日本選手権優勝
2021年の東京オリンピック出場権は逃してしまった赤間さん。
その後の、2021年12月に行われた日本選手権「女子ストリート」で初優勝しています。
優勝したインタビューでは
五輪で仲間がメダルを取ったのはうれしいけど、くやしい気持ちもあった。
めちゃくちゃ練習してきた。
と語りました。
ちなみにこの大会で2位だったのは、東京オリンピックで金メダルを獲得した西矢椛(にしやもみじ)さんです。
西矢椛さんとは今でもSNSなどでよく連絡を取り合う仲だそうです。
パリオリンピックの出場が決まった時も「頑張ってね」と声をかけてもらったそうです。
大けがを経験
2023年8月には骨盤と鎖骨を骨折し、全治5~6か月の大けがを経験します。
一時は五輪出場を諦めた時もあったそうです。
しかし、懸命なリハビリ、筋トレの結果。
足の内側の筋肉や体の使い方をトレーニングして、ジャンプ力も上がったそうです。
その結果、大きいセクションにも対応できるようになり、けがの功名で試練を乗り越えてきたのだとか。
辛い時期を支えたのが家族であったり、仲間であったのかもしれないですね。
スケートボードが好きだという思いも、復活への言動力になったのでしょうか。
今年(高校1年)ローマ/ドバイ大会で優勝
赤間凛音さんはオリンピックの予選となる、2023年6月におこなわれた「WST: ローマ・ストリート2023」で、優勝しました。
また、2024年「WST: ドバイ・ストリート2024」でも優勝しています。
それにより赤間凛音さんは現在世界ランキング2位まで順位を上げ、パリオリンピックの切符を手に入れました。
まさに大けがからの復活ですね。
ここまで来るのには、懸命な努力があったのだと思います。
スケートボードを始めたきっかけは父親
赤間凛音さんがスケートボードを始めたきっかけは、父親の影響だそうです。
赤間さんの父親はサーフィンが趣味で、スケートボードもやっていたのだとか。
サーフィンのバランス感覚を養うために、スケートボードを取り入れることがあります。
サーファーは波のない日はスケートボードで練習したり、遊んだりするそうです。
赤間凛音さんは小学2年生の時に父親が近所の下り坂でサーフスケートをしていたそうです。
真似をしてサーフスケートに乗ってみたら、ハマってしまいました。
楽しみながら練習を続けるうちに、どんどん技術が向上し、本格的にスケートボードに取り組むようになったそうです。
こちらは赤間凛音さんの小学校の卒業式の写真です。
チェックのスーツに蝶ネクタイ、メガネにブーツを合わせています。
とてもオシャレですね。
おそらく、ご両親と一緒に衣装を選んだと思うので、ご両親もとてもオシャレな方なのだと思います。
サーファーはオシャレな方が多いですよね。
赤間凛音の練習場所
赤間凛音さんが本格的にスケートボードに取り組むようなると、平日は大崎市古川にある練習場まで毎日通っていたそうです。
その練習場とは「B’nuts skate board park」という屋内スケートボードパークです。
赤間凛音さんの家からは片道約1時間、ご両親が毎日送り迎えをしたそうです。
また週末には新潟県にある「村上市スケートパーク」まで練習に行っていたそうです。
仙台からは車で3時間以上かかる練習場です。
ご両親は熱心に凛音さんのスケートボードの活動を支援していたのですね。
赤間凛音さんは両親のすごいところは?
という問いに「どこでも車で行くところ」と答えています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回は、赤間凛音さんのwikiプロフィール、スケートボード歴。
スケートボードを始めるきっかけとなった、父親の事をまとめてみました。
最後までご覧いただきありがとうございました。